コール音1回半で、繋がった。


か? どうした」


特に機嫌を損ねているようでもない、普段通りの無愛想な声。着信にすぐ気付いて出てくれたんだろう、つまりは携帯を気にしてくれてたんだろうな、と思いながら、私はお決まりの科白を言う。

 ごめん、迷った。


「またか」
「はい、ごめんなさい」
「まったくだ。今どこだ」
「目の前に家具屋さんがあって、両隣がケーキ屋さんと雑貨屋さん」
「それ、思いっきり路地っぽい響きじゃねぇか、んな場所わかるか。大通りの方に抜けてみろ」
「えっと、こっちかな……あ、バス停見つけたよ」
「停留所の名前は」


近づいて停留所名を告げると、少しの間の後、正面にパン屋があるかと訊かれた。見渡して、黄色い看板の小さなお店を見つけ、是と返事をする。


「そこなら分かる。すぐ行くからパン屋の前に居ろ」
「うん」

「はい」
「いいかげん適当に歩き回るの止めろ。道に迷うのが分かり切ってるだろうが」


お小言の後ろからは断続的に人が行き交う音がして、待ち合わせ場所の景色が瞼裏に浮かぶ。
駅前の噴水広場。
この辺りでは待ち合わせ場所の定番で、私の家からそこまでの道は、私も勿論知っている。ただし、バスに乗らずに徒歩で行く上に、途中気紛れに横道に入ってみたり、気になったお店を覗いてみたりと、真っ直ぐに道を辿らないから迷うのだ。
文次郎もそれは承知している。何度も繰り返されたことだから。


「猫が歩いてたんだもの」
「だからってふらふら追いかけていく奴があるか、バカタレ」
「駅への方向はわかるから、何とかなると思ったの」
「道に迷うだけならいいが、万一そこで何かあったらどうする」
「……はい」
「毎回同じやりとりしてる気がするんだがな。そろそろ学習してくれ、迷子はあの後輩ひとりで十分だ」


ぽんぽんと飛んでくる説教の背景、雑音が小さくなった。小路に入ったのだろうか、文次郎の靴音がよく聞こえるようになっている。文次郎は基本的に、大股でかなり速い歩調で歩く。エンジニアブーツの踵がガツガツと鳴る。電話越しに何度も聞いたリズム。


「あの、待たせてごめんね」
「……別にいい。あと5分かからん、そこで待ってろ」
「はい」
「動くんじゃねぇぞ」


ありがとう。
そう言うと、応という適当な返答とほぼ同時に通話が切れた。



きっと気付かれている。
待ち合わせる度、場所に関わらず高確率で道に迷う私に。
そして、それが確信犯であることも。

迎えに行くと何度も言われたが、私と文次郎の家はかなり遠い。現地集合を提案するのはいつも私だ。
そして、決まって待ち合わせ場所の近くまで来て、道に迷う。文次郎と二人で出かけるときに限って、繰り返されすぎたパターン。


電話越しに必ずくれる『待ってろ』のひとこと。

何度だって聞きたくて、つまりは私の我侭なのだ。


彼の口から、待っていろなんて聞ける日が来るとは思ってなかった。
帰って来れない可能性を考慮して、いつだって待つなと言い残して去っていく人だった。
決して多くを語らない彼の言葉の真意を理解できてしまうものだから文句など言える筈もなく、理不尽な優しさに何度泣きたくなったことだろう。

私が彼の仕事など知らなければ。
彼が真っ直ぐな人でなければ。
お互いに、好意を抱いたことに気づきさえしなければ。

仮定の話を思い描いては、終わりのないそれに溜息を吐くばかりだった。いっそどうでも良い相手であればよかったのにと、去り際の背中に何度ぶつけようとしたか知れない。


感謝するとすれば、今生での再会にではなく、心置きなく我侭になれることにだろうか。







背凭れにしていた小さなパン屋のショーウィンドウ越しに、一口サイズの小さな菓子パンを見つけた。腕時計をちらりと見た後、悪戯心からそれを二つ買って店を出ると、そこにいた文次郎は焦った顔を弛めたところだった。安堵の息を吐くかと思いきや、彼も自覚したのか途中でそれを大きな溜息にすり替えた。息を吸うタイミングを見計らい、お小言が始まる前にまだ温かい菓子パンを口元に突きつけると、諦めた顔をしてそれに齧り付く。何だか嬉しくてくすくす笑うと、文次郎は口をもぐもぐと動かしながら、私の頭を手の甲でこつりと殴るのだ。

「待ってろと言っただろうが」の声は、変わらず優しかった。










百年の恋よ冷めろ






スリーストーリーズ様へ。 素敵な企画に参加させていただき、ありがとうございました!     マコ

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