自分に宛がわれた部屋がどうにも落ち着かず、私は立ったり座ったりを数度繰り返した。誰かに目撃されていたら変人だけれど、ここは私の一人部屋だ。私が六年間過ごした一室よりやや広い教師用の長屋は、私のただでさえ少ない荷物のせいでよりその広さが強調されているように思えた。だって、家財道具一式は持ち込めないし、変装用も兼ねる私服が数着に細々した小物と、さっき小松田さんからもらってきたばかりの黒い忍び装束、教科書と硯と筆、これくらいだ。なおかつ自分が五年前まで呼び出される度に何を怒られるのかと緊張していた部屋である。まさか卒業してからここで生活することになるとは、学生時代の自分が想像もしなかった未来だ。学園長先生やシナ先生はすべてお見通しのような顔で笑っていらっしゃったが、この五年間どう生きてきたかなんて誰とも繋ぎを取っていないのに不思議なものだと思う。とにかく私は今日から忍術学園のいち教育実習生として、もう一度ここで暮らすことになったわけである。この敷地の中であの目立つ桃色の装束を着ていないというのはまだ違和感がある。二十歳の女がアレを着ていたところで痛々しいだけだということは重々自覚しているけれど。ほんと、同級生の中にはとっくに結婚したのもいるらしいのに私と来たら何をしているのだろう。まあ土井先生も相変わらず一人身だし、と遠い目になりかけたところでとんとんと戸を叩く音がした。この部屋に初めての来訪者である。明日からの段取りについて少し話したい、とシナ先生が仰っていたのを思い出して、慌てて座布団を押入れから引っ張り出す。
「失礼します、先生はご在室でしょうか」
 しかし戸の向こうにいるのは、私の予想に反して一人の忍たまのようだった。先生、という響きに恐縮しながらもどうぞと声を掛ける。再度の失礼しますと共に戸を開けたのは、深緑の装束の見知らぬ六年生だった。彼は丁寧に頭を下げて部屋に入ってくると、たった今出したばかりの座布団に正座して私をじっと見た。初対面の見目整った少年に無言で見つめられたのではこちらとしては居心地が悪いばかりだ。それこそシナ先生か、学園長先生かに言付けされて来たのだろうと思っていたのに、彼はまったく口を開く様子がない。きりりとした眉は険しく吊り上っていて、本当に私が何かしでかしたかと焦ったが、今朝こちらに着いてから先生方に挨拶を済ませてこの部屋に案内されて、それで今ちょうど昼過ぎだ。何かしようにもそんな暇はなかった。私は座布団の上で釣られて姿勢を正しながら恐る恐る口を開いた。
「とりあえず名前教えてもらっていいかな、私今日来たばっかりなもんで・・・・・・」
「・・・・・・六年は組、黒木庄左ヱ門です」
 ・・・・・・えっ? 庄左ヱ門って、えっ、一年は組の庄ちゃん? 学級委員の? えっ? 庄ちゃん!? どもりながらやっとのことでそんな意のことを言うと無言で首肯されて、私は思わず仰け反ってしまうほど驚いた。黒木庄左ヱ門というのは、私が六年だったころの後輩だ。かつてないほど出来が悪いと評判の一年は組にいながらすごく真面目な子で、せんぱいせんぱいと懐いてくるのがかわいらしく、よく勉強を見てあげたり一緒におやつを食べたりしていた。だけど、だけど、こんなに大きくなかった! 言われてみれば確かに、なんとなく全部入れ替わっていたと思い込んでいた後輩たちは、ぱっと計算してみるとあのころの一年坊主だけまだ残っているのだ。今度は私が彼の顔をじっと見つめる番だった。背が高くなって、顔立ちからは甘さが抜けた。甘いも何も一年生のころの庄左ヱ門しか知らないのだから当然だと言えば当然だが。それでも初見で彼だとわからなかった申し訳なさもあいまって私は無性にそわそわした。絶対向こうは私のことを、こいつ何も変わってないなと思っているに違いない。なんせ自分でもそう思うんだから。卒業してから一寸たりとも背は伸びなかったので、今では彼の方が頭一つか半分ほど背が高いだろう。
「あっ、えっと、お、お茶入れるからね」
「いえ、お気遣いなく」
「いやいや、こちらこそ」
 やたら低姿勢になってしまうのは仕方がないことだ。少ない荷物から急須と湯飲みを引っ張り出して、ついさっき食堂で借りてきたばかりの鉄瓶やらお茶葉やらを用意している間も庄ちゃんは黙ったまま座っていて、私は内心半泣きである。ああー、知った顔がまだいるなんて思ってなかった・・・・・・。六年になってこまっしゃくれた後輩どもと、明日からの教育実習で渡り合わねばいけないのだと改めて考えると気が重くなった。あんなにかわいかった庄ちゃんでもこんなにいかつくなってしまうのだから、他の連中なんてどうなっていることやら。そんなことを考えながらこわごわ庄ちゃんの前に湯飲みを置くと、小さく頭を下げてから手に取ってくれたのでほっとする。私は庄ちゃんのことをなんだと思っているのだ。
「ほんと庄ちゃん大きくなったねえ・・・・・・あ、お菓子も食べる?」
「いえ、結構です」
 にべなく断られて少し寂しく感じる。ざっと五年前か、彼が一年の時にはお菓子一つで両手を挙げて大喜びしていたというのに。このぐらいの年の男の子はたぶん昔の話とか嫌がるんだろうな、私も年を取るはずだよ、と一人でおまんじゅうをもそもそ頬張る。親戚のおばちゃんのような心境に達している。えっと、六年生だから、今十五か。私が卒業してからもう五年も経ってしまったけれど、庄ちゃんの見違えるような成長と裏腹に私ときたら本当に何も変わっていない。若いっていいなあ。あ、と少し思うところがあり、私は肩をすくめて上目で庄ちゃんの様子を伺った。
「庄ちゃんってもう呼ばないほうがいいのかな」
 昔を引きずっているのは私ばかりなのかもしれない、と思ったのだ。庄ちゃんは鋭い目元をやや柔らかくして、そうして首を横に振った。
「構わないですよ、前のままで」
 なんだか声を上げて泣きたいような気持ちになった。どうやら私は立派に大きくなった後輩を前にして、ものすごく緊張していたらしい。若干潤んだ目を隠すためにまだ熱いお茶をゆっくり啜った。きっと今この学園で彼のことを庄ちゃんと呼んでいるのは彼の同級生か私くらいだろう、と意味もなく嬉しくなった。それきり黙って二人でお茶を飲んでいたのだが、庄ちゃんは自分の湯飲みが空になると、それでは、とさっさと腰を浮かせた。庄ちゃんが私の部屋を訪れた理由がわからないまま立ち去ろうとするので私は変にあたふたとした。
「えっ、庄ちゃん、あの、なんか用があったんじゃないの」
 既に戸に手をかけていた庄ちゃんは私を振り返ってきょとんと目を丸くする。そうすると一気に雰囲気が幼くなって、今ここにいる彼は確かにあの小さくてどんぐり目の庄ちゃんだ、と私は初めて実感を覚えた。
「いや、先輩が戻られたと聞いたので、ご挨拶をと思って来たんですが・・・・・・やっぱりお邪魔でしたか」
「う、ううん、全然、うん、じゃあ」
「はい、じゃあ、明日からよろしくお願いします」
 庄ちゃんは入ってきたのと同じように丁寧に頭を下げて部屋から出て行った。一人でしばらく二個目のおまんじゅうを咀嚼しながら思い返す。それってつまり、単に私に会いに来てくれたんでしょ。あんなにでっかくてとっつきにくい感じの見た目になってしまったのに、中身は変わっていないのだとわかって安心した。なんてかわいい後輩だろう! あの年の男の子にはかわいいって一番言っちゃ駄目な言葉に違いないのだが、私はひとしきり身悶えした。明日からもがんばれる気がする。
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