ぴちゃん、ぴちゃん、ぴちゃん。
桶の中へ、規則正しく水が落ちていく。ぼんやりとその音を聞いていたら、頭にぽん、と、柔らかな『何か』が当たった。そのまま目の前へと落ちてきた『何か』を両手で取ると、後ろから声がした。
「、何ぼんやりしてんだよ」「留三郎、くのたまに物投げつけて無事でいられると思ってるの?」「思ってはいないが、ならいいだろ」「ひどい話ね」「そうでもねえだろ、いいもの投げたんだし」
投げられた『何か』― その正体はお饅頭だった ― を指差して、留三郎は胸を張る。
「食べ物投げるなんて、食堂のおばちゃんに叱られるよ」「が言わなきゃ、バレねえよ」「そういう問題なの?こういう場合」「そういう問題だろ、こういう場合」「呆れた話だ」「じゃあ返せよ。しんべヱ推薦の超おいしいお饅頭」「ありがとうしんべヱ君、いただきます」
留三郎がこちらへ向かって手を伸ばしてきたので、ひと息でそう言ってかぶりつく。流石は食通のしんべヱ君。口の中に広がった甘さに、頬が緩む。私の表情を見て、留三郎が笑いながら隣に腰掛けてきた。
「さすがはだな、食に関しては貪欲だ」「留三郎、可愛い彼女にむかって、それはないんじゃない?」「おっかしいな、俺の彼女につく形容詞は『かわいい』じゃなくて『よく食う』だったはず」「それ、形容詞じゃないんだけど」「あ、そっか。じゃあ『どんくさい』」「うん、それは確かに形容詞だ・・・・って、そういう問題じゃないってば!」
わざとノッてから怒ると、留三郎はお腹を抱えて笑いだした。失礼な奴だ。そう思ったけど、留三郎があまりに楽しそうなのでそれ以上何もいわないことにする。私も、単純な奴だ。ひとしきり留三郎が笑い終えると、一瞬静かになる。
ぴちゃん。
水の音に、はっとする。そうだった、忘れてた。
「あ、忘れてた。早く直さねえと」「用具委員長さん、お仕事忘れて何やってんですか」「も忘れてただろ」「私は用具委員じゃないもん」「そうそう、用具委員じゃないがいたからしょうがない」「関係ないでしょ」「関係あるだろ。何のために饅頭持ってきたと思ってんだよ」「私のため?」「今更だろ、それ」
そういって私の肩をたたくと、留三郎は水音へと近づく。天井を見て、微妙に眉をしかめている。それから桶を覗き込むと、不思議そうな顔になる。
「これ、がやってくれたのか?」「うん」「道理で。ありがとな」「そのままにしてたら、零れそうだったから」「とりあえず応急措置しとくか。明日も雨らしいし」「あんま使われない建物でよかったよね」「気づいたのが保健委員ってのがまた」「不運だよね、数馬君も」「お前な、人が折角ぼかしていったってのに」
苦笑してから、留三郎は天井の梁へと登りだす。下から槌を渡すと、それを受取ろうとして、留三郎の手が止まる。
ぴちゃん。
私の真横を、水滴が通りすぎた。こちらを見て固まる留三郎に、首を傾げる。槌持ったまま腕あげてるの、疲れるんだけどなぁ。
「どしたの?」「っていうか」「ん?」「ここ寒いだろ?大丈夫か?」「平気だよ、いつから待ってると思ってんのさ」「え、いつから待ってたのか?」「ちょっと、慌てすぎだよ留三郎」「お前そんな薄着でこんな場所に」「留三郎、制服に文句つける気?」「、お前なぁ」
呆れたように言うと、留三郎は梁の上から飛び下りてきた。あ、やってしまった。留三郎は、心配性というかなんというかが長じると、説教しだす。私の前に仁王立ちすると、保健委員長の伊作も真っ青なくらいの勢いで話し始めた。風邪の恐ろしさについて。これ、多分大部分が伊作の受け売りなんだろうな。
ぴちゃん、ぴちゃん。
水滴の音が、留三郎の声越しに聞こえる。案外大きい音だな、これ。
「、ちゃんと聞いてるか?」「聞いてるって。抵抗力を無駄に下げるな、でしょ?」「分かっててお前ってやつは・・・・!」
全くしょうがない。そう言われると、しょうがないのは留三郎の方だ、と反論したくなってしまう。でも。
「分かったな?、気をつけるんだぞ?」「分かってるって」「俺のせいでが風邪ひいたとか、洒落になんねえ」
この一言を言われてしまうと、まあ、いいか、と思ってしまう。私は、やっぱり単純だ。ぴちゃん、という音に、留三郎から視線を少しずらす。
桶の水は、いつのまにか零れていた。

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